2025/07/13

先祖的存在から紐解く「太陽」

 

まるはばん!

クロワッサン絢友です🥐

日本は早くも灼熱地獄ですね。

そんな訳で、きょうは太陽についてお話していきます!



語根とつづりが同じ

まずは単語から。

太陽はアラビア語で

شَمْس  (šams)「しゃむす」です。

語根はつづりのまま ش / م / س です。

まさに不変な、堂々たる太陽の在り方を表しているようです。


ちなみに語根とつづりが一致する単語というのは、数千語根あるうちの数百程度だそうです。

書く(かたば)、座る(じゃらさ)、理解する(ふぁひま)など、生活の中で欠かせない単語が多くみられます。

こういったシンプルな単語は、古から使われてきたものがほとんどでしょう。

アラビア語だけで単語を紐解くとすれば、きょうはここでおしまい。

ちゃんちゃん。~終~



…なんて、

ここで終わってしまっては、

「やろうYah!あらびーや!」

と皆さんに呼び掛けている語根ネキ志望のアラビア語学習者としての存在価値がなくなってしまいます。


「急にどうしたん?」って思われそうですが、これが通常運転なのでご安心を。

そんなわけで、テーマトークを続けるため

今回は語源から太陽について考えることにしました。



しゃむしゅでございましゅ(噛

しゃむすはセム祖語で太陽という意味をもつ「しゃむしゅ」が語源であるとされています。

セム祖語というのは、アラビア語やヘブライ語、アラム語、アッカド語など、アフロ・アジア語族のなかのセム語派のご先祖的存在の言語です。

時期としては、紀元前3000年頃には存在していたと考えられています。

基本的な語根は子音3つ、語順がVSO型であったことから、

アラビア語はセム祖語のDNAを強く引き継いでいます。

(VSO型とは、動詞→主語→目的語という語順のことを指します。

「食べた、私は、リンゴを」という言葉の順番です)


さて、話をしゃむしゅに戻します。

しゃむしゅは女性名詞で、「照らすもの」という意味をもつ語根から成る単語です。

しゃむしゅを語源とする

アラビア語の「しゃむす」

ヘブライ語の「しぇむす」

フェニキア語の「しゃぱしゅ」

なども同じく女性形です。

一説では、これらはいずれも太陽信仰における太陽の女神を表していたことから、その名残で女性名詞となっています。

(アラビア語においてはイスラーム信仰以前のお話をしています。イスラームでは太陽信仰は偶像崇拝と見做され、厳罰が下されます)


一方、同じくセム祖語から派生した最古の言語とされる

アッカド語の「しゃましゅ」は男性名詞。

メソポタミア神話における太陽神の性別も男性です。


ざっくり説明すると、文明と神話の変遷による価値観の違いが、太陽という名詞の性の分かれ目となっています。

フェニキア文明のような自然崇拝が根付く文化では、太陽は生命を育む母なる存在である女神とされる傾向が強かったようです。日本の天照大御神もこちらに分類されます。

その文化に対し、王権や法秩序を重視するメソポタミア文明のような都市文明では、太陽は裁きや正義の象徴とされ、力強い男性神として崇められていました。



太陽という単語をひとつ取っても、言葉の歴史の奥深さが良く分かりますね。


現代イスラームにおける太陽とは?

では、イスラームの観点から太陽について考えてみましょう。

イスラームにおける太陽は神の創造物であり、宇宙の秩序と神の力を示す象徴とされています。  

クルアーンでは太陽の光が神の啓示や神の導きとして表現されることもしばしば。  

ただし神格化はされず、飽くまでも自然を通じて神を知るための媒介として存在します。


前の見出し部分で書いたように、イスラーム以前は太陽を神の一つであると考えていました。

しかし、一神教の台頭により、多神教や神羅万象に神が存在すると考える自然崇拝は次第に否定されるようになり、思想の中心から外されていったのです。

イスラームも一神教のため、太陽を神として崇めることは偶像崇拝に値すると見做し、固く禁じています。

なぜなら、太陽をはじめ、空、月、星、空気に至るまで、この世に存在するモノは全て神が創造したモノだからです。

そして、その創造したモノを神格化することは、絶対的存在である神を否定し、その本質を見失ってしまうのだという教えが根底にあります。

創造物へ敬意を払うことは良しとしても、神と同列に扱うことは絶対にあってはならないのです。

日本に住んでるとあまり馴染みがない思想かもしれません。


私の好きな漫画『スラムダンク』を例にしてみます。

安西先生(創造主)

→ チームの精神的支柱であり、キャラクターたちに「信念」や「方向性」を与える存在。

先生の指示やアドバイスは啓示。


桜木、赤木、流川、三井、宮城などのバスケ部員たち(創造物)

→個々に独自の才能や性格を持つ。(太陽、星、月、海など)

安西先生が創ったチームの一員。チームの中においては、安西先生の指示・アドバイスに従って勝利へと向かう、創造主の意志によって動く者たち。


流川のみが流川親衛隊から神格化された場合…

→「流川クンだけが凄い!バスケの神様!」と考えることは、安西先生の意図により創られたチームを否定することとなる。

 一神教的視点では、「創造物(流川)を崇拝することで、創造主(安西先生)の意図を見失う」という構図になる。


なんとなくご理解いただけると良いのですが。


さらに詳しく学びたい方はクルアーンをご覧ください。

第91章の太陽章(あっしゃむす)には、太陽や月などに神の御名において誓うことや魂の浄化などについて説いています。


第6章の家畜章(あるあなぁむ)には、太陽や月、星などの自然物が神の徴(しるし)であること、多神教や偶像崇拝などについて説かれています。

ちなみに家畜章は165節あるため非常に長いです。

上記以外のことにも触れているので、読み通すだけでも一苦労かもしれません。



さて、きょうはここまで!

いつもたくさん読んでくれてしゅくらん♡

それでは、わだ~あん!





0 件のコメント:

コメントを投稿